一体いつから?どこから?なにを話せばいいのか?
こうして思い返すと、我が家にはオカシイ所ばかりだった。
これは一つの「家族の形をしたなにか」の話である。
私の家族は新興宗教にどっぷりハマっていました。
「・・除霊ってなに?」母に問いかける。
「お父さんが除霊をしたお礼に貰ってくるのよ〜」
笑顔で答える母。
いやいやいや、オカシイだろう。
私が成人になってから数年・・唐突にサラッと、
父の宗教カミングアウトをされたのです。
「何よ?いつも食べてるじゃない?」
「いつも??」
そう言われてハッとする。
・・・そうだ、なぜか貧しいハズの我が家に
場違いな高級食材が並んでいることがあった。
(佃煮うまかったなぁ)
なんてことだ・・なんだそれは・・・
いや、そういえば・・・・・
昔から我が家はオカシイことしかなかった。
私が18で警察官をクビになった時も
父は滅茶苦茶なことを言っていました。
実は父は殆ど家に帰らず・・生まれてこの方、
ほとんど会話をしたことが無かったのですが・・・
少々変わった人だなぁという印象でした。
しかし警察をクビになった直後の傷心する我が子に
このような奇怪な話をする理由はなんだろうか?
いやいや、オカシイことは他にもあった。
除霊の話を聞くと・・・色々と辻褄が合うことがある
そうか、なるほど「父も」そうなのかと。
祖母はかなり熱烈な信者でありました。
しかし父までもそうだとは・・・まぁ当然か・・
もちろん信仰は自由である。何を信じてもかまわない。
が・・勧誘がしつこくてたまらなかった。
特に酷かったのは私が入院をした時だ。
どこからともなくやってくる。
私が弱り辛そうにしているとやってくる。
誰が呼んだのか?
「入信すれば病気が治りますよ」とでも言うのか?
平常時ならまだしも、こういう時の勧誘は腹立たしい。
しかし彼らはなぜこんな強引な勧誘をするのか?
どうやら「誰かを勧誘すると幸せになれる」と
その宗教にはそう言う教えがあるそうですが・・・
こういう「勧誘と幸福の教え」は、
社会ではよく見かけることがある。
そう、例えば・・・・
あれはテレフォンアポイント部署の
管理をしていた時のこと・・・・
察し。
犯罪に巻き込まれそうになったこともあるので、
上司へのホウレンソウは欠かせなかった。
・・・こうして始まる幸せになれる話。
ああ???ソッチ系ですか。流行ってますよね。
・・・こうして消耗される私の昼休憩。
・・・・とにかく「すごいものだから儲かる」
「沢山の人を勧誘して儲けて幸せになりましょう」
という勧誘による勧誘のための勧誘の話でした。
立場上こういう話は必ずウンウン聞くしかない。
なにせ・・ここは職場ですから逃げ場がない。
仕事に絡めた勧誘っていうのは回避しずらい。
そして終わったら、すぐに上長に報告。
上長の判断は時に厳しく「辞めさせる」
「勧誘を止めるように説得しても無駄だろう」と言う。
上長はこのクソブラックでバイトする層とマルチや宗教で強引な勧誘をしちゃう層が同じだという。
そう言われると、私もこんな風に悩んだものです。
なるほど。確かに。我が社もバイトさん達に
「勧誘して幸せになれる教え」をしていました。
・・・悪どいビジネスと宗教の親和性の高さよ。
少々話がそれましたが・・会社を経営していた父も
ビジネスに「宗教」を取り入れていたのです。
「父さん、しばらく山にこもるそうよ」
ある日、母にそう言われてギョッとした。
(一体なんの話だ?)
なんでも取引先の経営者さんたちを集めて
みんなで山奥の神社に籠ってお祈りをするそうだ・・・
(どういうことだろうか?)
そこで父にそれとなく尋ねると
こんなことを楽しげに私に話すのです。
ああ、そういう感じ?
とにかく父は一般的な神社には
「神様がいない」ということに気づいたそうなのです。
そしてその真理を取引先の経営者の方々に
じっくり教え説いて回っていたそうなのです。
オカルト話が好きな経営者さんは多いのかな?
バカバカしいと思うでしょう??(私も思う)
でもこれも案外バカにできない話だと思う。
これは私が営業時代によく耳にした
あの話によく似ている。
「営業と顧客」「顧客と営業」「応接室など二人だけの空間」
そういう状況って勧誘や洗脳にはうってつけなんだと思う。
・・・・まぁそうやって集めた経営者仲間と共に、
その「唯一神がいる神社」(笑)へと通い続けている。
という言う話を聞かされたわけです。
もちろん父から聞いた時はビックリしました!
今までの信仰はどこへいったんだ!?
何がどうなってるんだ?信仰軽くないですか?
・・・・・と・・・・・・ここまで書いて、
結論まで書くことが嫌になってしまいました。
思う所・・書いてて気づかされることがあったからです。
「父は変わった人だけど良い人」
ずっと・・・そんなふうに思っていまいした。
そう・・・・思いたかっただけなのかもしれない。
スイッチが入ると変なことを言うけれど
周りを思いやってのこと・・だと思っていました。
だけど、こうして思い返して書いていると
どこを切っても異常だ。サイコパス感に溢れている。
本当に信仰心なんてあったのか?
本当に神さまを信じてたのか?
…それも怪しいところだ。商売のためじゃないか?
なぜだろうか?なぜ良い父親だと思っていたのか?
「良い父親だった」という根拠がない。
一度ブラック企業を辞めるように説得してくれたことはあったけれど・・あれも母からしつこく言われたからだ。
そもそも私と父は顔を合わせたこともほとんどない・・
私は父を知らない・・・・
そういう「現実」を突きつけられたようで、
少し心が病んだ。少しだけね。
・・だからここ数日、
一生懸命になって父のことを思い出そうとしました。
(なにかあるはずだ、なにか・・・・・)と