部屋に入っても、すぐには何も出来ません。
その場にぼーっと立ち尽くしてしまいます。
・・・疲れすぎて
頭が回らない。
しばらくすると・・・・
(・・電気代・・払わなきゃ・・・・)
そんなことをぼんやり考え始めます。
そう、今日は給料日だった。
私が以前勤めていた会社の給料は『完全歩合制』
獲得した契約1件につき1500円前後の報酬が貰える。
会社の平均給与は5万円ほどでした。
とは言え・・・貧困プロの方ならこうおっしゃるでしょう。
・・・確かに、『お金を浮かせる方法』は沢山ある
しかし私たちの場合、
この生きる工夫が難しかった。
1日14時間あまりの労働。
月の休みは2日程度。
毎日激務で体はボロボロです。
生活に工夫を加える時間も余裕も無い。
私たちは一般的な貧困層ではなかったのです。
『毎日必死に働いているのに月収が5万程度しかない』
そんな現代社会に生きる奴隷だったのです。
数万円の給料の大半は『家賃、光熱費』
そして田舎に欠かせない『車の維持費』に消えていきます。
『食費は削る』ではなく。
最初から食費など無いのです。
水を飲んで。体を水で満たしていく。
食べ物が無い日もある。
そんな日は、無理やりにでも寝るに限る。
月収5万でどうやって生きるのか?
先ほどお話しした通り、
奴隷にプライベートな時間はありません。
つまり仕事中に食料を確保しなければ、
死にます。笑
ちなみに仕事は飛び込み営業なのですが・・・・
はい。
察しの良い方であれば、
もうお気づきでしょう・・・・・?
そうです。
生きるため、食べ物を得るためには、
乞食(こじき)をする他なかったのです。
まず、飛び込みで見知らぬ家のチャイムを押します。
突然、家に訪問するセールスマン。
基本、相手方の警戒心はMAXです。
私は満面の笑みで話しかけます
自分で言うのもなんですが超絶うさん臭かった。
とにかくうさん臭い仕事だった。
相手方もモチロンそう思う・・・・
警戒している人は私をマジマジと見つめて来る・・・・
そして気づくのです。
私の異様さに。
別に同情を買おうとは思ってはいません。
ナチュラル貧乏です。
人生経験豊富な方が見れば、
私がどんな人間か?どんな生活をしているのか?
ものの数秒ですぐに察知されてしまいました。
「大丈夫?」と心配してくれる人は多かった。
営業の帰り際や、その辺の公園で休憩していると、
「コレ持っていきなさい!」と言って、
何かしらの食べ物をくれる人もいました。
ねだりはしませんが・・(食べ物を貰えるんじゃないか?)と
どこかで常に期待している自分がいる。
まさしく乞食だ。
夜になると、飛び込み営業を終えて集合場所へと戻る。
移動用の社用車などはモチロン無いので、
ガソリン代節約の為に移動を1台の車で行うからです。
集合場所に着くと、みんなで食料を分け合います。
ひもじいのは みんなおなじ。
みんなそれぞれ『物資』を持ち寄って、
みんなで分け合って食べる。誰も独占したりはしない。
・・近所で畑をやってる人が野菜を分けてくれるらしい。
新品同然の酒やタバコを道路に捨てる人がいる・・・らしい。
食べ物は余裕のある人から貰う。
貰った食べ物は仲間と分け合う。
それが出来ていたから月収が5万だとしても、
飢え死にすることも無く、幸せを感じて生きていられました。
仕事がハードだったから、3年で辞める事にはなりましたが、
この『共有する幸せ』は大事な感覚だと思う。
ただ正直・・・ちょっと後ろめたい気持ちもある・・・・
日本は「人からモノを貰うな!」
「ずるい!」という教えやら慣習が強いからだと思う。
でも世の中にはいろんな人たちがいる。
最近見つかったマレーシアの先住民族言語ジェデク語には、
「借りる」「盗む」「買う」「売る」という
『『所有を表す言葉』が一切無いのだそうです。
代わりに「交換」「共有」を表す言葉は豊富にあるのだとか。
『全部みんなのモノ』
だから争いもなく、暴力もない。
ああ・・・羨ましい・・が、私もこんな生活がしたい。
しかし・・・なかなか実践は難しい。
せめて私たちも分け合えるものは分け合って、
貰えるものは貰っても良いと思う。
お金は、お金を稼ぐのが得意な人が、
世の中の為になるように上手に配って頂きたい・・・・
富や財産を自分に集めて、誇っているだけの人もいる。
でも・・・そんな人には聞いてみたい。
「あの世にお金を持っていく方法が見つかったんですか?」
なーんてね。