皆さん、お金はありますか?僕は新卒で就職した職場を即ヤメ、その後起業して数年頑張って破滅、その後は曖昧に生きているうちにライターをやったり本を書いたりするようになったというキャリアです。つまりどういうことかというと、人生を通してお金はまるでありませんでした。会社の口座に二千万入っていても、僕の財布には数千円。社員はクレジットカードが作れるのに社長の僕は作れない。そんな人生です。そんなわけで借金玉と名乗っております。よろしくお願いします。
しかし、その一方で僕は人生でほとんど「生活費に困る」という体験をしたことがありません。月収は少ない時で6万円くらいでしたが、結構それなりに人生を楽しく生きて来たな、という気がします。会社の資金繰りが死んでしまうとかそういう苦しみはありましたが、生活資金という意味では足りないと感じたことはほとんどありません。月収が60万円でも6万円でもあまり変わらず生活しております。
ところで、最近友人の経営者からこんなお話を聞きました。
「素寒貧から100万円貯める難度は、100万を1000万にするよりずっと高い」
周囲を見ているとこれは真理なのだろうな、と思うことが多々あります。逆に言えば、100万円貯めることができる生活習慣を身に着ければ、人生は結構上手く行くと言えるのではないでしょうか。今日はそんな話をしたいと思います。ちなみにこの社長「素寒貧から100万貯められた奴なら即採用」と言っていました。ギャンブルから生活費にどんづまった部下が金持ってバックレるなどを経験した僕もこれは正しいと思います。思いたくなかったです。
スラムドッグとマネーリテラシー
僕は非常に育ちが悪く、スラム的なあれで少年期を送りました。金がない奴は大体トモダチだったと言えます。スラムボーイたちは基本的にマネーリテラシーというものを有していませんので、「金が入った」「金がない」を往復しながら生きていきます。借金地獄に陥る人間も非常に多く、かなりの数の知人が「お金」で破滅していきました。
彼らは何故そんなことになってしまうのか。改めて考えてみると、彼らには「生活投資」という概念が存在しなかったことが挙げられると思います。世の中の人は、「金がない」人に「節約しろ、生活を切り詰めろ」と言います。しかし、現実問題として人間というのは娯楽のない生活、不便な生活に耐えることはほとんどできません。これができるのはある種の特権的才能と言えると思います。
洗濯機の話をします。僕はかつて18歳で実家を飛び出して、素寒貧から人生をスタートしました。当然、最初は洗濯機など持っておらず、コインランドリー代を節約するために風呂桶で足踏み洗いをしていました。これは限りなく最悪の時期でした。時間はかかる、手間もかかる。嫌になる。身なりも薄汚くなる。まさしく悪循環です。これを断ち切る、即ち中古屋で洗濯機を買うだけで人生は変わるのです。
スラムボーイたちには洗濯機を買わないという行動事例がかなり観測されました。必要性が理解できないので、酒飲んだりパチンコしちゃったりするわけですね。「そりゃあ金貯まらないよ!」と感じられたと思います。まず、このレベルからなのです。しかし、みなさんはスラムボーイたちを本当に笑えるでしょうか。実は、「生活投資をしないから金が貯まらない」という事例は、かなりみられるのです。いわば「金を遣わないから金が貯まらない」のです。
例えば、「貧乏なら自炊をしろ」と叫ぶ人はいっぱいいます。しかし、「マトモな自炊」ができる台所を構築するには、数万円の投資が必要です。炊飯器、包丁、鍋、まな板、皿、お玉…ストレスのない自炊にかかるコスト、実際問題そう低くはありません。さらに言えば、「買い物」というのも案外習得にコストがかかります。皆様も、何度となく失敗して上手なお買い物を覚えたのではないでしょうか。
昨今は「コスパ」の考え方が非常に強くなり、最低限に支出を切り詰め一円でも安く買うというのが大正義になりつつあります。これ自体は間違いとはいえません、しかしその結果として起きたのが生活の萎縮と非効率化であっては何の意味もありません。皆さんは、本当に買うべきものを買っているでしょうか。
「生活にどの程度の利便性が必要か」は人によって大きく違います。しかし、僕は発達障害(ADHD)を持っているため、利便性は高ければ高い方が良い。そういうわけで、お金に余剰ができると一つ一つ生活を便利にしていくというのを長年続けて来ました。炊飯器を買い、掃除機を買い、洗濯機を買い、食洗機を買い…いわば生活をより便利に構築し続けることが人生の習い性となっています。
結果として、収入がガツンと低下しても生活に必要なものは残っているので、さほど困らない。というのも、僕にとって生活というのは「楽しみ」だからです。炊飯器がお気に入りならごはんを炊くのも楽しい、包丁がお気に入りなら特売のカツオのタタキを切るのも楽しい。こういう「生活の楽しさ」は投資から出てくるものだと思います。
こうしていると、支出の優先順位が自然に生活投資>消費・浪費となりますので、お金を使っているのも関わらずお金が貯まるという不思議な現象が起きてきます。僕は今年33歳になりましたが、「買い物」のスキルというのはまだまだ上げられる気がしているし、これはお金を使わなければ覚えられないことです。さらに、生活利便性が上がれば時間も当然取れるようになる。好循環が回り始めるのです。
「生活を楽しむ」というのは、貯金の一つの極意だと僕は考えています。まぁ、そうやって貯めたお金も全部自分の会社に貸し付けて空を飛んでいきましたけどね!これはまぁ、別のお話。
生活投資と娯楽エントリーコスト
以上の二つより、貯蓄の極意が導かれます。「生活投資を楽しむ」ことです。これを象徴するエピソードは食器洗浄機でしょう。日本ではなぜか食洗器が普及しないそうですが、これは「ぜいたく品」という意識があるから、という説があります。でも、実際買ってみるとあれは手放せるものではありません。断言しますが、最高です。掃除機代をケチって箒と雑巾で掃除をすることを「節約」と呼ぶのはとても愚かなことなのです。風呂場で足踏み洗濯をするのと同じくらいに愚かなことなのです。そして、生活の利便性が上がるのはとても楽しい。
「貯金」とは生活の余剰です。すなわち、余剰ある生活をまずは構築するべきであり、この順序を間違えてはいけません。そして、その構築そのものを「娯楽」にしてしまうことにより、最高効率を引き出すことができます。食洗器を選び、洗濯機を選び、炊飯器を選ぶ。コスパだけではなく、日々の「楽しさ」も意識しながら…これは実際とても楽しい趣味です。その上、「買い物」のスキルも獲得できます。
少し余剰が出たら次はエントリーコストの高い娯楽を一つ身に着けるのがオススメです。料理でも、アクアリウムでも、読書でも、ウクレレでも、なんでもいいです。そして、「エントリーコストは払ったけど結局エントリーできなかった」をある程度「仕方ない」と認めることです。向く向かないはやってみないとわからないのですから。大丈夫、パチンコや酒より投下コストが多い娯楽それほど多くありません。「ムダ金」を恐れすぎてはいけません。
不便な生活に耐え娯楽を断ちお金を貯める。これは日本人が大好きな「貧乏」像と言える気がします。でも、こんなことができる人はほんのひとつまみです。大体は、不便な生活にしばらく耐えた後大爆発を起こして散財してしまいます。かくいう僕もこの実体験からこの貯蓄法を編み出したのでお墨付きを出せます。酒、飲んじゃいます。パチンコ、しちゃいます。だって、娯楽がないしストレスも多いんですから。そうなってしまうのです。
ストレスを減らし、快適さを構築し、没頭できる娯楽を見つけ出す。その先に「貯蓄」はあるのです。語弊を恐れずに言うならば、快適で贅沢な生活を構築せず貯蓄をしようなどというのは、無謀なのです。貯金をしたいなら生活投資をせよ、金を遣え、遊べ。自信をもって言い切れます。
昔、乏しい懐からちょっとだけ良い炊飯器を買ったときのことをいまだに鮮明に思い出すことがあります。「マズイメシ」というのはこれほどストレスだったのかと、何故自分がお金もないのに外食をしてしまうのかに気づいたあの衝撃はとても大きかった。人生を変えたと言っていいでしょう。ひとつ、また一つと生活を積み上げていく。一文無しから始めた人生が積みあがっていく楽しさ、部屋が少しずつ豊かになっていく楽しさ、それが僕の貯蓄を支えました。
あなたがお金を貯められないのは生活投資をしないからです。素寒貧スタートの僕でも、少しずつ生活投資を繰り返し100万円の貯蓄は可能でした。そして、100万円が貯まった時に手に入ったものの価値は、100万円程度のものではなかったと断言できます。
さぁ、あなたの生活を作り上げましょう。お金がない時こそ、投資の英断が必要なのです。これは、企業経営と全く同じです。「コストを下げたいから投資する」本当に当たり前のことですよね。あなたは苦しまなくていい、あなたの人生を楽しむこと、生活を楽しむことがそのまま貯蓄術なのです。やっていきましょう。