伝説の女子レスラー・ブル中野に現役時代の収入について聞いてみた

プロレスラー。鍛えあげた自らの肉体を駆使し、リング上で激しく戦うことで観客を魅了する華やかでエンターテイメントな職業です。

スター選手になれる人間はほんの一握りだと聞きますが、一般人からすると気になるのはやはりお金の話。プロレスラーの「収入」ってどれほどのものなの!? そのスケールの大きさは!?

今回、ヒールレスラーとして絶大な人気を集めた伝説の女子レスラー、ブル中野さん(以下、ブル)に当時のことをふり返っていただき、プロレスラーの実情についてお聞きしたいと思います!

練習生、新人レスラーの収入は極めて低い!?

-プロレスラーって売れるまでの苦労もありそうですけど、実際、収入面はどうだったんですか?

ブル:そりゃもう、苦労しましたよ。オーディションを受け、私が練習生となったのが1980年。中学1年生の時でした。
デビューするまでに3年ほど稽古を積むのですが、一応、その間は練習生でも固定給がもらえるんですよね。それが月に5万円でしたね。

-月に5万円の固定給… それで生活できるんですか?

ブル:ギリギリですね(笑) 寮に入って生活するんですけど、その寮費が5千円なんですよ。電気、水道、ガス代込み。5万円の内、5千円の寮費を引いた4万5千円が自由に使えるお金なんですけど、その全てが食費に消えます。

-プロレスラーになるためには、とにかくたくさん食べて体を大きくしないといけませんもんね。どんなものを食べていたんですか?

ブル:米だけは支給されていたので、おかずさえ用意すれば良いのですが… 世間のことがなにもわからない中学生の時の話ですからね。料理もできないし、カップラーメンとか、コーンの缶詰を買ってきてマヨネーズをかけておかずにしていたのを覚えています。

当時、吉野家とかケンタッキーもありましたが、外食を続けるとあっという間にお金がなくなるんですよね。給料日まであと一週間あるのに、お金が全くないなんてこともザラにありましたよ。追い詰められた時はなけなしのお金で紅ショウガを買ってきて、それを白いごはんにかけて食べるんです。

そんなものを毎日食べていると、当然、ものすごい飽きるんですよ。でも、それしか食べるものが無くて。それがトラウマになって、紅ショウガがしばらく食べられなくなったこともありましたね(笑)

-中学生の女の子がハードなトレーニングをしながら、毎日、紅ショウガを…。その生活を3年耐え、やっとデビューできるわけですね! デビューすれば給料はグッと上がりましたか?

ブル:7万円になりました。それがデビュー時の給料ですね。

-7万円!? それはまた、随分と少ない… あっ、でも1試合ごとにファイトマネーが貰えるとか?

ブル:ファイトマネーも、デビューしたての新人がもらえる金額って1試合1000円とかなんですよ(笑)
とにかく、プロレスラーは売れるまでは苦労します。でも、寮から出ることもないし、娯楽にお金なんて使う暇もないし、食費以外でお金を使うこともほとんどないんですけどね。

-ひえええええ。やはり最初のうちは稼げないんですね。試合に出るための衣装ってどうしてたんですか?

ブル:新人レスラーは自分で見つけて買ってくるんですよ。競泳水着とか、それっぽいやつを。先輩レスラーに気に入られて可愛がられるような人は、おさがりの衣装とかガウンを貰えたりするんですけどね。

-なるほど。3年稽古を積んでようやくデビューできたとしても、そういう現状なのか… まぁ、下積み時代ってそういうものなのかも知れませんね。

ビッグドリーム!? 7万円の給料が◯◯万円にアップ!

-ちなみにプロレスラーの昇給システムってどうなってるんですか? そもそも、選手の給料って誰が決めるんですかね?

ブル:当時、女子プロレスをビジネスにできたのは「全日本女子プロレス」という団体だけだったんです。私もそこに所属していたわけですが、その団体の経営をしていたのが松永4兄弟という業界的に有名人の方々。私たちの給料も松永さんたちが決めていましたね。

基本的には年功序列の世界なので、長く続けていけば固定給とかも上がっていくんです。でも、給料を一気に上げるためにはとにかく人気が必要なんですよ。観客を集められる選手になればなるほど、給料が比例して上がっていく。当たり前の話ですけどね。

-なるほど。ブルさんの場合は、どうやって給料が上がっていったんですか?

ブル:私はプロレスラーの中でも特殊なケースだと思います。普通は地道に試合に出続けて、良いパフォーマンスを見せて、結果を残して、徐々に人気を獲得しながらメインイベンターになれるように頑張る、というのが一般的なプロレスラーの成功の道だと思うのですが…

私はデビュー3年目に強制的にヒールレスラーへと転向させられるという事件があったんです。

ダンプ松本という有名なヒールレスラーがいるんですが、そのダンプさんに目をかけられ「極悪同盟(チームの名前)に入って悪役をやれ」って。何度も断ったんですけど、先輩の言うことは絶対服従の世界ですから。最終的には私が折れて、極悪同盟に加入することになりました。

-ふむふむ。ちなみに、ヒールレスラーとはどういうものなんでしょうか?

ブル:プロレスの興行を盛り上げるために、善玉としてベビーフェイスと呼ばれるレスラーと、その引き立て役としてヒールと呼ばれる悪役のレスラーがいるんです。この2つが対立することでファンの方々が喜ぶようなストーリーを展開できるんですよ。

ただし、世間の人気は当然、正義の味方であるベビーフェイスに集中します。私もベビーフェイスに憧れてプロレスの世界に入った人間で、いつかは歌って踊れるプロレスラーになることを夢見ていたのに… まさか自分が悪役になるなんて夢にも思いませんでしたね(笑)

今でこそ笑って話をしていますけど、当時はヒールレスラーになるのがものすごい嫌で。。。 毎日のように泣いていました。

でも、ヒールレスラーになることで収入が一気に跳ね上がることになるんです。

-ええっ!? どうしてヒールレスラーになると収入が上がるんですか?

ブル:ヒールレスラーはそもそも数が少ないんですよ。当時、クラッシュギャルズというベビーフェイスのレスラー2人組が人気だったのですが、その人気者の彼女たちの引き立て役として、悪役である私がメインイベントで戦うことになるんです。つまり、私はデビュー3年目でいきなり全日本女子プロレスのメインイベンターになってしまったんですよ。

-すごい! ブルさんが思い描いていた理想とは違うけど、結果的に大出世ですよね!? でも、いきなりクラッシュギャルズみたいな超有名レスラーと試合して、勝てるものなのですか?

ブル:勝てるわけないですよ(笑) 毎回、ボッコボコにやられてましたね。で、試合後にはダンプさんからもボコボコにされるわけです。

ただ、この時の給料は月に70万円。ファイトマネーも合わせれば年収900万円以上になりますね。これが、私が17歳の時の話です。

-7万円の給料だったのが、一気に10倍の70万円!? 17歳の女の子が稼げる金額じゃない… プロレスラーって夢がある職業なんですね。

ブル:それがメインイベンターになるということなんですよ。当時はプロレスがブームにもなっていたし、色々と恵まれていたんです。現在ではそんな甘い話はないと思いますけどね。

ちなみに、給料は封筒に入れられて手渡し。その場には同じ極悪同盟のメンバーもいるんです。みんなの給料が一目瞭然でわかるようなシステムだったんですよね。テーブルの上にお金が入った茶色い封筒がドンッと縦に立つんですが、ダンプさんの目の前にはその封筒が3つも4つも並んでいました。

「お前も早く、これぐらい貰えるようになれよ」っていうメッセージだったんでしょうね。

-その頃のダンプさんは月収、数百万円ということですね… ちなみにグッズの売り上げとか、テレビ出演のお金とかもギャラに加算されるんですか?

ブル:最初、システム的にグッズの売り上げとか、ぜんぜんバックされなかったんですよね。それでレスラー達が軽いストライキを起こしたことがあったんですが、それから売り上げの10%とかバックされるようになったことを覚えています。プロレスの興行は年間300試合ぐらい、毎日のようにありましたから、グッズの売り上げだけでも月に数万円とかになっていたと思います。

テレビ出演とか、コマーシャル契約に関してはギャラはまったく知らされてませんでしたね(笑) 会社(団体)からやれって言われたことをやるだけですから。お金のことに関して交渉することもありませんし、気にもしてませんでしたね。

-ある意味、会社(団体)との信頼関係がすごいですね。まさに体育会系の世界。

伝説のレスラー・ブル中野の全盛期の年収はいくら?

-ブルさん、こんな生々しい当時のお金の話を包み隠さず話してくださってありがとうございます。せっかくなので、ブル中野の全盛期の年収ってどれぐらいだったのか、教えてくださいませんか?

ブル:実は、日本のプロレス界は通例的に「25歳で引退」という決まりがあったんです。後にこの決まりは無くなるんですけど、当時の私はまだまだプロレスを続けていたかったので、アメリカに拠点を移してプロレスラーとして活動するようになるんです。
結果として、WWE世界女子王座を獲得することになるんですが、この当時のギャラは1試合数百万円とか、3分100万円とかになってました。

さらに、アメリカでずっと活動をしている最中も「ブル中野に戻ってきてほしい」という思いがあったせいか、全日本女子プロレスから毎月の給料が振り込まれていたんです。そういう特殊な事情もあって、全盛期の月収は600万円とか、700万円とか超えたこともあったんじゃないかな………

-なるほど、少なく見積もっても年収7000万円以上の時代があったわけですね。

ブル:その代わり、支出もすごかったですけどね。日本にいた時は毎日のように後輩をたくさん引き連れてゴハンを食べに行くんですけど、会計はすべて私が払うわけです。1回の食事で5万円、6万円の支払い。それが毎日ですから、月に100万円以上は夜の食事代で消えましたね。

意外な支出としては、毎日飲む栄養ドリンク(某有名高級ドリンク)が1本3000円でしたから、それだけで月に10万円とか使っていました(笑) ちなみに怪我とかした時に病院でかかるお金は会社(団体)が出してくれてましたね。

他にも凶器のヌンチャク代とか、衣装とか、ヘアスタイルを整えるためのお金とか細かい支出は色々ありますけど、圧倒的に食費が高かったですね。

-豪快だ。色々と話のスケールが大きいです。

ブル:プロレスラーって、帳簿をつけたり、セコい生活をしているような人間はスター選手になれないんですよ。一般人の感覚を持ってはいけないんです。

ブル:保守的な感覚を持つと、それがリングの上で出てきてしまうんですよ。「ここでこの技を出したら、背骨が突き出して死ぬかも」とか、そういうことを一瞬でも考えると、それが技を通じてお客さんに伝わってしまうんです。それじゃあ、お金を払って試合を見にきてくれたお客さんを納得させることはできない。

豪快さが大切なんですよね。生き方としての豪快さ、ある種の破滅願望みたいなものが必要なんです。

-そういえば、全盛期のブル中野といえば、とんでもなく危険な技を次々と繰り出して観客を沸かせていましたよね。1番のライバルだったアジャコング に仕掛けた、4mの金網の上からのギロチンドロップ。もはや伝説ですけど… 下手したら死んじゃいます。

ブル:ところが、プロなので対戦相手を殺すまでは絶対にしないわけです。ギリギリ死なないぐらいの大技を出す。お客さんは「夢を託したくなるような豪快さ」をプロレスラーに求めていると思うんです。そのお客さんの期待を上回るパフォーマンスを見せるのが、一流のプロレスラーですから。

プロレスの試合で勝つということは、「対戦相手の体を通して、お客さんに勝つ」ということだと思っています。そういう意味だと、私にとってアジャコング はビジネスのベストパートナーということになりますね(笑) 当時は本当に殺してやりたいと思ってましたけど。

-(やはり、プロレスの世界でトップになるような人は覚悟の決め方が違う。これがエンターテイメントでお金を稼ぐということなんだな…)

まとめ

先月まで7万円だった給料が、翌月には10倍の70万円に。それが1980年代、当時のプロレスラーという職業の実情だったようです。メインイベンターにさえなれれば、17歳でも年収900万円。全盛期には1試合で数百万円ものギャラが貰えたというのだから、なんとも豪快な話ですね!

ただし、メインイベンターになれない場合の給料は一般的なサラリーマンよりもずっと低いわけですし、怪我をして予後不良、引退という話も少なくないようです。夢はありますが、かなりリスクがある職業だと言えるでしょう。みなさんは、後先を考えずに4mの金網の上から飛び降りることができますか?

プロレスラーは選ばれた人間だけがなれる職業ということが、良く分かりますよね。

ブル中野さん、貴重なお話をありがとうございました!

(ブル中野さんのお話は、プロレスブームだった1980年代当時の話です。現在のプロレスラーの収入がどれほどのものなのかは分かりません。また、所属するプロレス団体によって給料やファイトマネーの算出方法も異なるそうです)

~~基本情報~~
ブル中野:1968年1月8日生まれ、日本を代表するの元女子プロレスラー
最近では、東京都中野区の観光大使に就任し、プロレスにとどまらず様々な分野でも活躍の場を広げている。
ブログ:元祖ぶるママ

<取材/文 竹内紳也>